5月1日(水)
今日は、三重県志摩市 渡鹿野島の港のスケッチをご紹介します。
5年前の4月28日(日)から妻と三重県志摩市の渡鹿野島へ旅行に行っていました。
途中で三重県伊勢市にある二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)を参拝したり、境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)を見物してから船で数分の島に上陸しました。
渡鹿野島は、周囲約7Km、面積は約0.7Km2の小さな島でリアス式海岸の的矢湾の奥に位置しています。
このため波が穏やかなで、古くから荒天時の避難場所・風待港として使われていました。
江戸時代には江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増えて、避難・風待をする港としての重要性が高まりました。このため船乗りなどのための宿のほかに、風待ちの船乗りを相手とした把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まって遊廓街としても大いに栄えたそうです。
特に昭和の時代は男性集団が買春を目的に島を訪れることも多く、公然と売春が行われ売春島として有名だったそうです。
しかし、現在は性産業従事者は著しく減少、高齢化していて、男性よりも女性の宿泊が多く、近隣の志摩スペイン村の影響で家族連れも増えているようです。
さて、スケッチは、島の防波堤に係留されている観光船と港の向こうに見える島の唯一の繁華街やホテルを入れた構図で描きました。
かつての売春島とはかけ離れた寂れ感を有する島ですが、のんびりするには絶好のロケーションです。